2009/06/06

Movie

 映写機やらキネマスコープやら作りたくなってきたのでそれについてのサーベイ。なんで映像が出てきたとか、あんまり歴史から考えたこと無かったから考えてみる。

 映像の歴史の前に、まず写真が16世紀に登場する。カメラオブスクーラといい、いわゆるピンホールカメラのようなもの。
 そんで17世紀くらいに、映写機の原型みたいなの、マジックランタンというものが発明される。これは透明の紙に絵を描いて、後ろからランタンの火でスクリーンに投影する仕掛けらしい。
 こうした背景、基盤があった上で、19世紀に入って、残像効果が発見される。これが映像に関しては大きくて、面白い所である。たとえばこの視覚効果が無ければ映像は存在しない訳で、ずっと写真を壁に投影するだけで終わっていたはず。フェナキストスコープを発明した、ジョゼフ・プラトーは物理学者なわけで。視覚効果を利用したメディアっていうところがあつい。これ系でまだやれることはありそう。
 とまぁこの後、1860年代にゾーイトロープが売り出されたりするわけですが。ここまでも十分面白いが、結構知っていたところはあったので、こっからが面白い。これまでは写真の露出時間が長かったりしたので、実写ではなく絵の動画が主だった。でも実写で映像が撮りたい!と思った人がたくさんいたわけです。

 イギリスの写真家エドワード・マイブリッジは、5年かけて「馬の連続写真」を撮影する。道にワイヤをはって、ワイヤとカメラのシャッターを繋ぎ、馬が走ってワイヤを切るたびにシャッターが降りる仕組み。これを撮った動機が別に映像のためとかじゃなくて、馬は走るとき4本とも足が地面を離れているかというのを証明するためだったらしい。そんでエジソンがこれを見て、キネマトグラフに至ったから驚き。

 1882年に連続写真を撮ることの出来る写真銃が発明される。ライフルの形をしていて、目標に向かいトリガーを引くと12フレームの連続写真が取れるという仕組み。これは面白い。つーか作りたい。飛んでいる鳥に向けて撮ったらしく、狩猟する動作で動きを切り取るというのは、パッケージとしてはすごくいい気がする。

 エジソンのキネトスコープ。上に覗き穴があって、中を見ると映像が見える仕組み。ひとり用の映像装置で、シネマトグラフが出て消えていった遺物である。でもひとり用というのが結構使う場面によっては面白いのかなと思う。


 こっからシネマトグラフになり、現代までそんなに変わりはしないので面白くない。残像現象でここまでもってるのも凄いし、それだけしっくり来てるんでしょうかね。錯覚とかで映像作ったら面白いのが出来るかも。
 映像は視覚野の拡張で、見ている物を記録したいという欲求から発生した気がする。とすれば、今あるVRとかは現実の空間自体を記録したいという五感すべてを記録するための手段な気はする。視覚、聴覚はクリアしているのでそれ以外を再現するか、あるいは感覚野に直接送るかなのか?
 結論、映像は視覚野の拡張。よって映像の本質は人間の脳内にあるイメージにある。ああ、こっから先は感覚人間にならないと理解しがたいので、ぼくには論理的思考と感覚的思考を自由にスイッチング出来るようなものがほしいすね。以上

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